白豪寺

東北の震災での苦難で悩んでいる人が多いことから、死生観について、先日のTVで恐山の管主がお話をされていた。難しい内容であったので、sixjumpが憶えていることは2つだけ。

1.死を考えることは生を考えること。生と死は分けて考えられない。しかし、あの世の死は誰もわからないので現生の生を考えるべきである。

sixjumpは、多分、現在の苦難に逃げず、精一杯生きることが死をも豊かにするものであると解釈した。

2.何故、生まれてきたかを考える意味(必要)はない。生まれてきた瞬間は、何の思想も、何の思考も、何の哲学も、何の利益も、何の言葉も、何の文化もすべてない。成長してから何故生まれてきたかと考えるときに使う言葉、思考方法、思想などもすべて、生まれてから人に教えられたものである。何が正しい思考方法なのか、言葉なのか、哲学なのか、文化なのか、分からない。そのような他人が作り上げた手段で、何故か考え判断することは不可能である(後付けの屁理屈である可能性をもつ)。

sixjumpは、多分、今、生きていることを大切にし、精一杯生きることが、何故生まれてきたかの答えを出してくれると解釈した。

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by sixjump | 2012-05-20 09:49 | Trackback | Comments(0)
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