賀名生梅林

職場で懇親会。黙祷の後、献杯。アルコールのない懇親会は初めて。いつもなら、車を置いて公共交通機関で帰宅するが、車で帰宅。懇親会の後半になると、カメラの好きな連中が集まりカメラ談義。sixjumpが「最近、花を撮らなくなってきた」というと、ベテランカメラマンが「もともと綺麗な花を綺麗に撮るのは当たり前。綺麗なモデルを綺麗に撮るのは当たり前」と言い始めた。綺麗なものを綺麗に撮る感性と才能と技術が要ると思うのだが、なんとなく、反論できないsixjumpがいた。

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by sixjump | 2011-03-22 21:02 | Trackback | Comments(4)
Commented by UZR at 2011-03-24 06:22 x
綺麗な花、綺麗な女を綺麗に撮れて、当たり前の所が撮れないのが、難しい。
Commented by sixjump at 2011-03-24 07:31
お早うございます。綺麗なものには、綺麗な本質があり、その本質がわからないと、更に綺麗に撮れない。言い換えると、綺麗なものは、それなりに綺麗に撮れる。そうなら、当たり前の所にも、その本質があり、それがわからないと、それが撮れないと考えても良いのでしょうか? 本質を見抜く才能が必要となりますが、sixjumpには、程遠い話になってしまいます。やはりカメラは難しい。
Commented by UZR at 2011-03-26 07:25 x
お早うございます。sixjumpさん、花を撮るカメラワークはそうとう高度だと、私はすぐ解りました。(前回のカメラ談義会で)sixjumpさんの場合、綺麗な花をそれ以上に綺麗に見せる技術を持ってると思います。私の経験上、被写体の本質は、刻々と変化しているように感じます。それと、自分・撮影者のその時の気分でファインダー内の被写体の本質は大きく左右されると思います。sixjumpさん自分のいい所は自分では解らないと思います。しかし私はsixjumpさんの感性は私に無い素晴らしいものをお持ちです。
PS、仕事カメラマンの場合、ベテラン・カメラマンの一言より、カメラ初心者、妻、子供(小学生)の一言を気にとめるようにしています。
Commented by sixjump at 2011-03-26 09:20
お早うございます。有難うございます。カナリ以前に、ブログで書いたことがあるのですが、どう撮れば綺麗に撮れるのか教えてと花に語りかけながら撮影しているときがあると感じることがあります。被写体の本質は刻々と変化し、それを受け止める撮影者の気持ちも刻々と変化していくというご指摘の通りだと思います。その結果としての作品を評価するのは、カメラ技術や多くの作品を見てきたベテランも大切ですが、それ以外の人達(購入者など)の意見が大切であるという、御指摘も納得いたします。
PS:sixjumpには、いつも傍で作品を見ている家内がいますので、ビクビクしています。
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