友ヶ島

高射砲台跡。このシリーズが続きます。友ヶ島のある紀淡海峡は、大阪空襲のためにグアムなどから飛来するB29の通り道。紀伊半島の山間部に比べ、海の上は気流が安定していて爆撃機の航路になることは十分に予測され、早くから友ヶ島に高射砲台が構築されていた。B29の通り道は高度が高く、高射砲弾が届いたかは疑問である。もし、届いていたなら、島の形が変わるほどの爆撃を受け、砲台は粉々に粉砕されていただろう。今、この紀淡海峡の上空は、大阪空港などへの航路として民間航空機が往来している。また、紀淡海峡は大型船による物資輸送や戦艦の通道であることから、それらを魚雷攻撃するために紀淡海峡の海中を進む潜水艦を探査するために音響測定器が友ヶ島に備え付けられていた。音を2か所で測定し、音の来る方向の交差するところに潜水艦がいるという三角法で測定するようになっており海軍のトップシークレットであったとのこと。戦後、米軍が徹底的に調査し、同様の方法で太平洋に数多くの音響測定器を沈め(設置)て探査ネットを構築したことは有名である。

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by sixjump | 2010-09-04 06:25 | Trackback | Comments(2)
Commented by UZR at 2010-09-04 17:33 x
そのグアムに多くの日本人が遊びに行きます。何人の方がこの事を知っているのでしょうね。
Commented by sixjump at 2010-09-04 21:32
そうですね。若い人のほとんどは知らないでしょう。グアムでも硫黄島でも、多くの日本軍人が玉砕していると思います。歴史は歴史として良いのではないでしょうか。今、日本の繁栄はその歴史の上に築かれているのでしょうから・・。
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